怠け仙人の世を拗ね斜めに見ての御託

 思いつくまま日がなキーを叩いて、世の中有ること無いこと、思いこみと偏見で・・・・・

生き甲斐は何処に


して彼は居なくなった

 人間が人間らしく生きるにはそれなりの覚悟と諦観が必要だが、生身の体なかなか思うようにはいかない。そこが人間なのかも知れない。ある老人の生き様を通して考えてみたい。


 私が未だ若かった頃、一人の老人と深く関わり合いを持つ機会を得、その後、彼の生活と深く接することになった。

 彼はその時、既に70歳に間もなく手の届こうと言うところに差し掛かっていたが、カクシャクとしていてバリバリの現役で、南・東北地方の一隅で彼の仕事にいそしんでいた。

 彼の仕事は、家業としてのとある小売店の店主としてのものであった。彼は若くから商売の道に就き、仕事を覚えるため奉公と修行に励み、早く亡くした親の後を引き継ぎいそしんだ結果、それなりに業界での信用も得、雇い人も増え店も大きくなり、町内での信頼も厚く、何かと決めごと世話焼きなどの指導的立場の人になっていた。

 私が知り合った頃は流石に町役などの肝いり的な第一線からは退いてはいたが、どうしてどうして隠然たる勢力と影響力を温存していたし、業界の動向に対しても彼本人にしてみたところ、まだまだ興味の尽きないところであった。また、年に数回は上京し、問屋筋を廻り商品の動向を探り、常に小売商としての客へのサービスを心がけていた。

 一方彼の一日の仕事としては、朝店を開け、客を迎え、数多くの種類の商品の細かい商いを飽きることなく続け、客に世辞はなかったが心から有り難うを言い、夜になって客の絶えるのを待って店を閉め、その日の売り上げとレジの打ち出した数字とを確かめ、レジの記録紙や伝票類と売上金をすり切れたボール紙の小箱に入れ金庫に収め、一日の終わりとすることを日課のようにしていた。

 それから10年程経ったある日、彼の許に東京の業界組合本部から電話があり、彼が黄綬褒章を受章することになった旨の第一報が届いた。彼にとって風の便りの微かな期待はあったが到底望み得べくもないものとして殆ど記憶の底に沈んでいた知らせであった。彼の属する業界ではどういうわけか他の業界に比べ、候補に挙がっても、相当の年齢にならないと受賞の機会に恵まれないのを常としていたからである。多くの関係者の好意と努力に感謝し、大いに喜んだのは言うまでのことではないが、その時彼は70歳の半ばをとうに超えてしまっていた。

 授章式が終わり、お祝いの会も済んだある日、彼は一人悟るところあって決断した。褒章受章を機に身上を息子に譲ることにしたのである。彼の店は小さいながらも会社組織であったので、所謂社長の座を退くことに決めたのである。交代は順調に行われた。

 しかし、何となく彼に変化が現れだしたのは、今になって思い返してその頃だったように思える。周囲から見て謹厳実直な彼の日常生活には外見何の変化もないように見えてはいたが、彼の中ではなにがしかの揺らぎが段々とはっきりしたものとなってきていたのであった。

 彼は彼の長い習慣から生じた、日々の生活パターンの繰り返しを健康を理由に崩すことはなかったのだが、その中でたった一つだけ彼がやらなくなったことがある。やらなくなったと言うより、やれなくなったという方が正しいのだが・・・・・

 それは、店を閉めてから銭勘定をすることであった。指の先に唾を付けながら札を数え、小銭を10個づつ積み上げ50個纏めて筒状に紙で包み、数え返してレジの記録と見比べ、間違いのないことを確かめてから、所定の場所に納め、大きく息をし穏やかな顔に戻り、おもむろに茶道具に手を伸ばし、自ら茶を入れ背を丸めて啜る姿は今も目に残る。

 この作業は店を息子に譲ったことで、当然息子の責任の範疇となり、やりたくとも手出しが出来なくなってしまったのである。それからと言うもの売り上げの多寡を息子から聞き、商売についてのいくらかの問答をして枕に就くことが先頃に替わって、新しく日課に加えられることとなったのである。

 その頃、彼はこんな事を私に漏らしている。

 仕事を趣味と心得、若い頃から家業にいそしんだ結果、社会に貢献したとして国から特別にご褒美がもらえた。名誉この上ない。息子も立派に家業を引き継いで将来何とかなりそうだ。家内にゴタゴタが在るではないし、これから何をしなければならないと言う心配もない。誠に幸せであると。

 彼はそれからいくらの間もおかず、急速に自分だけの世界に入っていってしまったのである。所謂ボケたのである。

 新しい記憶の喪失、妄想、徘徊等々お定まりのコースを辿った末、周囲を大きく振り回しながら3年程で彼岸に旅立ち、一周忌を終えて間もなく、一人では寂しかったのだろう、苦労に苦労を掛け通した最愛の奉仕者をも連れて行ってしまった。

 唯々真面目に働くことのみに心がけ、誠実に周囲に接し、何を楽しみに生きているのかと疑いたくなる程実直に生き、人生観のベクトルをこれに定め、実行した果てに彼が見たものとは一体どんなものであったのであろうか。傍から知るよしもない。確かに幸せであると話してはくれたが、本音のところは判らない。

 彼が呆けたのは当然年であったからに違いはない。男の平均寿命を十分超えていたので何の不足が在ろうというものではないが、人格者として周囲から尊敬され、敬愛された彼の末の姿としてみるのに、世の無常、哀れを禁じ得ないものがあった。

 彼のこうなった原因は、家業を息子に譲り、毎夜の銭勘定をしなくて済む身になったところに直接的なものを感じる。彼にしてみたところ、夜ごとの銭勘定は社長として店の経営の責任を全うする実感を味わい、これをもとに営業成績の向上を思い巡らす負担が、また明日への活力を生む踏み台になっていたのであろう。自ら身を引いたとはいえ、心の支えになる大いなるものを失ったことへの悔恨。諦観してもなお残る未練に、戸惑いさすらう彼の胸中、蕭々寂寞と吹き抜けていく何かがあったに違いない。

 ここで彼が心から傾注しうるこれに代わる何かがあれは良かったのであろうが、元々仕事以外に拠り処がなかった彼にとって、身をもって責任を果たし、結果に見合う貢献を実感し得る対象を身近に見つけだすことが遂に出来なかったのである。そして悲しい結果に歩みを早めていった。生き甲斐を見失った結果の行き着くところであった。

 人間にとっての生き甲斐とは、その人間の生活の空間・時間の中で、事の好き嫌いに拘わらず、自発・強制いずれにしても、そこに存在するため、その人間が、そこで最も重要だと認識し、周囲に対し有意義に貢献できる役割にあると、他は勿論、自ら勝手にでも納得し、自負・実感し得る何かなのではなかろうか。

 彼の晩年の幸せそうな人生の中で、必然とは言え唯一失わざるを得なかったものは、彼の生活の中で彼自身が最も重要で、有意義に貢献できる役割と認識し得たもの、商人の自負としての実践の結果を決定的に実感し得たもの、それは銭勘定だったのである。

 そして彼は居なくなった。あれほど彼が勲章と称して大切にしていた褒章は彼と共に姿を消した。未だに行き方知れずである。

コメント

はじめまして。

通りすがりのブログサーハーです。

この話がどうも強い印象に残りました。

うまくコメントできなくてすみません。

では。

  • 2008/04/25(金) 10:02:53 |
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